恥ずかしい気持ちを抱くことがある。
恥ずかしくなり、顔がほてる・赤くなる、頭に血がのぼる、という経験があると思う。
刺激に敏感な人は、かならずそういう経験があるはずだ。自分がとるべきだと思っている行動から誤って大きく外れた行動をしたとき、そういう気持ちを抱く。人前でそうしたとき、ということになるので、自意識的な感情になる。
本記事では、そんな気持ちを抱いたときの対処法について書いてみたい。
恥ずかしいと思う
恥ずかしい気持ちに…
恥ずかしい気持ちになることがある。
あいさつされたので返すと、自分の後ろの人にあいさつしていた、
プレゼンやスピーチでは、内容をすっ飛ばしてしまった、緊張で声が震えた、カミカミになってグダグダになった、まともに前を見ることができなかった、(プレゼンでは)事後の質疑応答で上手く答えることができなかった…などということがある。
ああ勘違い
わたしの最近の体験だが、誰かのサンダルを施設が用意した室内履きと勘違いし、それを履いていたら注意を受ける、ということがあった。注意されても意味がわからず、「いや、これは室内履きでしょ」と返したことも、恥ずかしさに輪をかけた。
そのとき、そのサンダルの持ち主が近くにおり、「それはわたしのサンダルです」と言った。
顔から火が吹き出そうな気持ちだったよ。
記憶に残りやすい
恥ずかしい気持ちが伴うできごとは、記憶に残りやすい。
感情は、記銘(記憶の第一段階:受け入れ覚えること)に作用する。
感情は、記憶にできごとをしっかり刻印する手助けをするのだ。たとえれば、感情付きのできごとは、<返し>のついた矢のようなもので、一度深く刺さると抜けない。ときどきそこが痛くなるので、そのたびに思い出す、ということになる。
長期記憶として保持され、リコール(思い出すこと)も容易になる、ということだ。
悪いことは特に長く記憶に残りやすい、ということがあるよ。
恥ずかしい気持ちの対処法は
自分の認知次第である
恥ずかしいとするもしないも、自分の認知次第である。
自分が恥ずかしいと思えばそうなるし、思わなければそうならない。
プレゼンやスピーチで失敗しても、「自分の課題が見えたことはよかった」、「だが、これではまずいだろう」、「どうすれば改善できるのか」と現状を受け入れて考えれば、あまり恥ずかしいという気持ちにはならない。
わたしのサンダルの話でも、「まぁこういう勘違いはあるか…」と思えば、何でもない。
他人がどう考えようが、自分の認知次第で自分の気持ちはコントロールできるのだ。
人の目を気にしなければ、どうということはないんだ。
視座を変える
恥ずかしい気持ちになるときは、主観的になっている。
視野が狭くなって、「こうに違いない」、「恥ずかしいに決まっている」となる。
そんなときは、視野を広げるために視座を変える。あいさつされたので返すと、自分の後ろの人にあいさつしていた…という例でも、相手が誤解を誘うような行動をしたので、こちらが間違えたとできる。
サンダルの例でも、室内履きの近くにあったので間違えた、室内履きと形状が似ていたので間違えた、とできる。そう考えれば、「まぁこういう勘違いはあるか…」、「仕方がない」と思うことができる。
※もちろん、こちらが間違えたので、(仕方ないと思っても)謝罪は必要になる。
大きな恥をかかないように
大きな恥をかかないように小さな恥をかく、とすればいい。
恥ずかしくて人に聞けないことがある。こんなことも知らないのか…と思われるのが怖い。
だが、成長の早い人は、恥をかくことを恐れない。本当に恐れるべきは、本番で大きな恥をかくことだ。仕事であれば、大事な場面でやらかしてしまうことだ。そんなことがないように、小さな恥をかく、とすればいい。
大きな失敗をしないように、(予防的に)小さな失敗をすることと同じだ。
何が大きな恥なのか、よく考えた方がいいよ。
魅力になることもある
恥ずかしく感じることが魅力になることがある、と考える。
恥ずかしそうにする、ということは、素直に自分の感情を表現している、ということになる。
人には、素直な人にひかれる、という特徴がある。だから、恥ずかしくなるような場面で、自信満々で堂々としている人よりは、少し恥ずかしさを表現している人の方に好感をもったりするのだ。
取り付く島を相手に与えることになるので、相手が話しかけやすくなる、ということもある。
人間的なところが見えると、安心する…ということがあるよ。
尿漏れやばい…と思う
恥をかいた経験を思い出すことがある。
そのことを思い出し嫌な気持ちになることは、とてもつまらないことだ。
思い出すこと自体は、仕方がないだろう。先に、「ときどきそこが痛くなるので、そのたびに思い出す」と書いたとおりだ。負の感情がキーになり、記憶にアクセスして思い出す。
問題は、そこからだ。
嫌な記憶を思い出し(感情を処理する回路を刺激し)嫌な感情を抱きはじめた時点で、からだがストレスホルモンを分泌し、生理的な反応を起こす。だから、ストレスホルモンの血液中へのリークを止めよう、と意識する。
尿漏れを止めよう、とすることと同じだ(笑)。尿漏れと同じく、(その必要がないときに)ストレスホルモンを血液中に漏らしてもいいことはない。だから、馬鹿らしいし、自分にとって損になるのでやめよう…とする。
そう考えれば、嫌な経験を反芻して嫌な気持ちになる…ということが少なくなる。
※そうなりそうなときは、尿漏れやばい…と思えばいいのだ(笑)。
まとめ
本記事では、恥ずかしい気持ちになったときの対処法について書いてみた。
その気持ちから認知が歪む、落ち込む…ということであれば、対処した方がいい。
その方法は、1)自分の認知次第であることを思い出す、2)視座を変える、3)大きな恥をかかないように小さな恥をかくとする、4)人的な魅力になることもあるとする、5)尿漏れやばい…と思う、の5つだ。
恥ずかしいも恥ずかしくないも、所詮自分の認知次第だ。
どんな失敗をしようが、「あることだ」、「自分の課題が見えた」、「大きな失敗を防ぐために必要な失敗だ」、「同じ失敗をしないためには、今後どうすればいいのか」とすれば、恥ずかしいとはならない。
尿漏れやばい…は、結構効くので試してほしい。
恥ずかしいに限ることではないが、過去の嫌なできごとを思い出し、嫌な気持ちになりかけたときは、「尿漏れやばい…」として、ストレスホルモンの血液中へのリークをやめよう、と意識する。
そう意識すれば、自分の中で起こる嫌な流れを、スパッと断ち切ることができるだろう。
今回の記事:「恥ずかしい気持ちの対処法」