「自己啓発には意味がない」とする人がいる。
たとえば、自己啓発本を読むことにはほとんど意味がない、と考える人がいる。
その種の本を読めば、自分の成長の足掛かりを得たような気分になる。だが、その気分だけで終わる…ということもままあることだ。この場合はほぼ「意味がない」ということになるだろう。
意味の有無の結論を言えば、意味があるもないも、受け手である自分次第になる。そのときだけ感銘を受ける…では、娯楽以上の意味はない。ゆえに、自己啓発を図ることにはつながらない。
自己啓発に取り組むのであれば、自分の成長に資する形にして取り組みたい。
自己啓発の意味は
まず、自己啓発の意味からみていこう。
自己啓発とは、自分を今より良くしようと思い、そのための行動をすることだ。
たとえば、(自発的な意思で)自分の特長に磨きをかけたり、新しいスキルを獲得したり、自分の欠点を改善しようとしたり、これまでの悪習・悪癖を改めようとしたり…ということだ。
自己啓発は、何ら悪いことではなく、むしろいいことだ、ということがわかる。
効果がないケースは
読書に意味はない
自己啓発の本を読むことには意味がない、と感じる人がいるようだ。
その理由だが、1)自己啓発本には同じような内容が多く、商業的な<におい>もするのであまり役立ちそうにない、2)内容は理解できるが実践できない、3)効果は一時的でしかない、というものだ。
確かに、実践できないのであれば行動できないということになり、意味がないのかもしれない。
行動が伴わず、頭でっかちになるだけでは、自分の成長には結びつかない。
同じ内容ばかりでは
自己啓発本は、同じような内容ばかりである…という批判がある。
たしかに、同じ著者の場合は、前の本で見た内容がまた出てくる、ということがある。そんなときは、どちらか一冊読んでおけば、それでいいのでは…と思う。両方読むことには意味がない、と感じる。
また、著者が違っていても、「これはどこかで見かけた話だな」、「表現を変えただけだな」と思うことがある。筆者が名著をベースにして書いていたりするので、そのエッセンスがどうしても滲み出てくるのだ。
※もちろん、それは悪いことではない。内容が重複するのは、当たり前のことである。
すでにわかっていることを丁寧に読んでいたのでは、時間の無駄になる。
内容を実践できない
内容を実践できないということがある。
※そのままでは、実践できないことの方が多いだろう。
たとえば、ある分野で100人にひとりの人材になり、別の分野で100人にひとりの人材になれば、両分野を掛け合わせることで、1万人にひとりの人材になることができる、という話がある。
話としてはとてもおもしろい。だが、これを実際にやろうとすると大変なのだ。
ある分野のエキスパートになるためには、1万時間必要だ…とすると、休みなしで毎日6時間かけても、4年半かかる。もう一方の分野でも同じぐらいの時間がかかるので、合計で9年もかかる。
また、獲得したスキルの更新も必要なので、実際はもっと時間がかかるだろう。
難易度が高すぎると、実践できなくなる。
効果が一時的である
効果が一時的である、という問題がある。
本でも講演でもそうだが、感銘を受けてもその効果は長続きしない。
そのときは、ハートに火をつけたが、自然に消火に至る…というイメージだ。何もしなければ、効果はどうしても一時的になるのだ。※もらい火で火をつけたにすぎず、自分で種火を絶やさないようにする必要がある。
メンタルにおける「平均への回帰」ということだろう。
新刊が気になる人は
この種の本の新刊が気になる人は、単なるコレクターになっている可能性がある。
自己啓発の本を集めることが目的化している、ということだ。その種の本が身近にあれば、自分の能力が向上する、精神的な成長を期待することができる…という気分になり安心できるのかもしれない。
良本をたくさん集めれば、自分を変えることができる…という認知かもしれない。
自己啓発本のコレクターになっても、自分の成長とは関係ない。
効果を持たせるには
同じ内容には…
同じようなことにも意味がある。
同じようなことをたくさん目にするということであれば、その同じようなことには意味がある。
たとえば、人をほめるときは「三角ぼめ」がいいよ、という話をいろいろな人が言うのであれば、正しいとしていい。三角ぼめとは、面と向かってではなく「第三者を通じて相手をほめる」ということだが、このほめ方の有効性を認知する人が多いので、目にする機会も増える、ということだ。
※同じようなことについては、信ぴょう性があり、重要度が高いとして優先度を上げればいい。
重複した内容の優先順位を上げるといい。
内容を実践したい
本に書いてある内容を実践しないと意味がない。
ただし、(必ずしも)そのまま実践する必要はない。
先に、100人にひとりの人材から1万人にひとりの人材になる、という例を挙げたが、この話はアレンジすることができる。10人にひとりの人材でも、4分野掛け合わせると同じになる。
10人にひとりの人材であれば、すでにそうなっている、ということが十分にあるし、新規分野でも100人にひとりに比べれば、はるかに短い時間で済む。単に十分の1ということではなく、それよりももっと短い時間で済むだろう。
このように、(難易度が高い話であれば)自分が実践できる形に加工すればいいのだ。
自分が実践できる形に加工・工夫する。エッセンスだけ利用してもいい。
効果を持続させる
効果を持続させるためには、どうすればいいのだろうか。
自己啓発本によりハートに火をつけたが、自然に消火に至る…ということでは意味がない。
火は小さくなっても、灯し続けておかなければいけない。そのためには、定期的に何度も読んで、短期記憶を長期記憶にする、アウトプットすることで記憶に定着させる、などの工夫が必要だ。
ブログを通じてアウトプットし、ときおり読み返すということでも、そこそこ効果がある。
ブログを通じてアウトプットすれば、内容を整理・記憶することができる。
まとめ
今回は、自己啓発を役立たせる方法について書いてみた。
この種の本を読むことに意味のない理由は、1)同じ内容ばかりだ、2)内容を実践できない、3)効果が一時的である、ということだ。このほかにも、その人だから…ということもある。
※その人だから成功したのであり、自分には当てはまらないよな、と思うこともあるだろう。
だが、講演や読書が意味のあるインプットになるかどうかは、受け手である自分次第になる。
その種の講演に参加したり、自己啓発本を読んだだけで、自分が成長できる…と思うのであれば、誤りだ。上手く取り込めば、自分の成長の足掛かりを得ることができ、行動につなげれば、自己の成長につながる、という話なのだ。行動しなければ、何も変わらないことは言うまでもない。
※自分が動かないのであれば、動くまで根気よく扉をたたき続けるという努力が必要になる。
今回の記事:「自己啓発を自分の成長に役立たせる方法とは」